どこに正しさはあるのか?|あなたの求める生き方をすればよい

これは、2011年11月17日、来日して衆議院本会議で講演されたブータン王国ジグミ・ケサル国王の演説の全体映像です。
なたの中に、「こうでないといけない」という正しさは、あるでしょうか?
それは、あなたの生き方として、あなたの根底に流れるものでしょう。
そういった、あなたを定義づけ、あなたに方向性と進むべき道を示す、
信念を誰しもが持っていることでしょう。
きっと、「そんなものはない」と考える人にでさえ、
実はあなたが「そのとき」選択する「行動」の基準となる信念が眠っているはずです。
それは、よいとか悪いとか、といったものではなく、人が生まれ育つ中で、
自然と身につけていく、生き方といってよいのではないかと思います。
人は皆違います。
当然、父も母も違います。
父と母の父と母も違います。
生まれた年月日も違います。
場所も、気温も、湿度も、状態もまったく違います。
生まれてから、過ごした環境も、「今」の間に体験した経験も、
その経験から学んだことも、すべてが違います。
今存在している「あなた」という存在は、
他の誰とも異なる唯一無二の存在なのです。
だから、あなたに植え付けられている、目に見えない信念や価値観、生き方は、
他の人とはまったく違うものなのです。
似たように思われるような傾向性を持っている人でさえも、細かく見ていくと、
まったく異なった価値観の体系を持っているわけです。
それは、当たり前のことです。
生まれたときから、いままで、そのほとんどをまったく異なる存在として生きてきたのですから。
例えば、あなたにとっては早く起きて、己を律して、行動をすることは正しいことかもしれません。
もしかしたら、その信念は、早起きして活動した結果求めるような状況を作ることができた経験によっているかもしれませんし、もしかしたら、親からの教えとして忠実に守っているものかもしれません。
でも、例えばある人にとっては、朝ゆっくり起きて、頭をすっきりしてから活動して、夜遅くまで活動することが正しいことかもしれません。
もしかしたら、職業が夜に向いている仕事だからかもしれませんし、過去早起きしてよりよいと思われる状況を作ることができなかったけれど、思いっきり遅くまで寝てから活動したら集中力も高くて、とても満足のいく一日を過ごすことができた経験によって得た信念かもしれません。
人は、人それぞれの固有の人生を生きており、それぞれの生き方や価値観に基づいて行動しています。
ある人にとっては正しいことが、別の人にとって正しいとは限らないのです。
そもそも生まれ持った気質が異なり、さらにその後の環境や状況、経験がまったく異なるからです。
それは、最初にお伝えしたとおりです。
そうかといって、私は相対主義に陥ろうと思っているのではありません。
1+1=2というのは間違いないことであり、やはり私たち人間は自然の摂理の元に生かされているのだからです。
手で持ち上げた物体を話すと落下しますし、毎日太陽が東から昇り西に沈みます。
だから、ある面真理というものが存在し、自然の理があり、正しさというものが存在するのは間違いないことです。
ただし、一方で私が真理と思っていること、あなたが真理と思っていることは、
真理ではないということが言える、といいたいのです。
なぜならば、あなたの真理は他の人にとっての真理とは異なるかもしれない、つまり真理ではないからです。
人は絶対に客観的になることはできません。
常に私は私であり、あなたはあなたであり、私やあなたが、客観的に物事を捉えようとどれだけがんばってみても、
私たちは主観を通してしか世界をみることができず、私たちが捉える客観的な事実というのは、
あくまでも「主観的な」客観的な事実でしかないのです。
そういう意味で、私たちは常に、自然の理や法則、正しさを現象の中に見出そうとしますしが、
どれだけがんばったとしても、その真理は、あくまでも
「真理に近いであろう主観」でしかないということができるでしょう。
だから、誰かを裁いたり、自分の正しさや価値観を押し付けるべきではないと私は考えます。
少なくともその人の状況や環境のすべてを見て聞き出すことなくして、
裁いたり非難したりする権利を私たちは誰も有してはいないと思うわけです。
受け入れましょう。
あなたはあなたのままですばらしく、
私は私のままですばらしい。
何か願望を満たしたり、夢をかなえたり、何かを成し遂げたりするのにあたり、
あなたが自己変革しなくてはいけない可能性があることと、
あなたがあなたのままですばらしいということは、矛盾することではないのです。
あなたがあなたのままですばらしいように、
他の誰かは、他の誰かのままですばらしい存在なのです。
だから、非難せずに違いは違いとして「そのまま」を受け入れて、
違いをお互いに話し合っていきましょう。
ぶつかり合う価値観を持っているのであれば、
相手の価値観を聞き、受け入れた上で、あなたの価値観を伝え、きちんと話あっていきましょう。
そうして、価値観をあわせる必要があれば、お互いが納得するように、
お互いを尊重しながら気長に話し合っていくことです。
また、逆に価値観をあわせる必要がなければ、お互いに受け入れ、さえすればよいです。
急いては、反発を招き、人間関係を破壊してしまいます。
どれだけ大切な人であったとしても、一方的に自分の正しさを押し付ける行為は人間関係の破壊をもたらします。
なぜなら、人と人は違うからです。
そして、誰しもが自己愛を持った存在であり、そのままで価値のある存在だからです。
冒頭に掲載した動画をぜひ、ご覧ください。
人は違います。
でも、その違いの中で調和して生きていきます。
誰か一人の思惑で世の中が動いたのでは、偏った面白みのない世界になってしまうでしょう。
多様性があるからこそ、人間の美しさは表現されるのではないでしょうか?
そして、その調和の中に美しい姿があるのだと教えてくれる動画でした。
JUGEMテーマ:人生論

6 Responses to “どこに正しさはあるのか?|あなたの求める生き方をすればよい”

  1. あおちゃん より:

    なんか、ステキなブログですね
    生きる意味…
    自分って…
    考えさせられます
    楽しくいきられたらいいのに

  2. しんさん より:

    あおちゃんさん、コメントありがとうございます。
    本当、毎日楽しく生きていられたらよいのに、皆複雑怪奇にして、楽しく生きられなくなっていますよね。だからこそ、シンプルに楽しく毎日を生きる生き方が求められていると思います!

  3. fumiya より:

    私は正しい生き方を求めて生きてきました。
    実際にそんなものはなく
    自己の存在はかけがえのないものだと気付き
    自他の生き方を受け入れることなのですね。
    自分を信じて生きていきたいと思います。
    ありがとうございます。

  4. より:

    こんばんわ。
    このブログを読んで、勇気をもらいました。
    本当に人生って、どうとでもなるんだなと思います。
    いくらでも巻き返すことができる。
    信じられないほどの復活劇を遂げた有名な人の話とかも聞きますよね。
    なんて偉そうなこと言っている私は、今本当に人生で一番の難所にいます。それを少し過ぎたところでしょうか。。。
    でも私は、必ずなりたい自分になれる!思い通りの人生を生きることができる!と思っています。
    全ての制限から開放されて、本当の自由を掴み、最高の自分で、最高の人生を生きてやる!!と決めました。
    もう自分に嘘をつきたくはないし、自分に正直に生きていこうと。
    勝手に諦めて、勝手に拗ねて、自分の可能性を否定するのはもう辞めようと思います。
    こう思えるようになるには、やはり今回のように、究極に追い込めれた状態にまでならなければ、ここまで思えるようにはなれなかったんだと思います。
    でも、この歳で気付けて、本当に良かったなとも思いました。
    しんさんの今までの人生とか、プロフィールとか拝見しまして、
    勝手に親近感を覚えて、こんなコメントしてしまいました~!
    お恥ずかしい限りです(*σ´Д`)
    文字制限大丈夫かな(笑)
    長文失礼致しました!
    これからもブログ読みます!!

  5. しんさん より:

    fumiyaさん、コメントありがとうございます。
    そのように言って頂いてうれしいです。
    これからも少しでも役立つ情報を提供しますのでよろしくお願いいたします。

  6. しんさん より:

    遙さん、コメントありがとうございます。
    少し遅くなってしまいましたが、とてもコメントとてもうれしかったです。
    今、難所にあられるとのこと、、、おそらくすごく苦しい?あるいは苦しい時期が過ぎたところらあたりかもしれませんが、必ず難所は乗り越えることができます。
    そして、難所に出会って、乗り越える度に、私たちは人格を高めることができると思っています。
    ぜひ、これからも何かあったらいつでもメッセージください。
    よろしくお願いします!!

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