無理しない生き方|合理的な選択をしていく。

 無理しない生き方
大切なことを大切にするために、無理しちゃうことってないだろうか?
絶対に~しなくちゃいけないとか、~したいからとか、って無理してがんばっちゃうことってないだろうか?
誰しもそのような経験はあると思う。
私だって、そういう時はいくらでもある。
でも、無理することは決してよいことではないし、褒められるべきことでもなければ、美徳でもなんでもない。
頑張ること、目的を遂げるために最善を尽くすために限界までやりきることは、とても素晴らしいことで、限界点を越えてもうダメだってラインを越えて、それでも諦めずにやり続けることは、人生にとって大切な生き方だと思う。
とても合理的なことだと思うし、そういった時は人格の拡張のために必要なことだろう。
でも、常にそれでは息切れしてしまうよ。
いつか燃え尽きて、パッションダウンしてしまうよ。
無理とは、理がないということ。
理とは、摂理の理。自然の理。
だから、理のないことはやらないほうがよいだろう。
自然じゃないからだ。
じゃあ、合理と無理の違い、理のあるなしは何が違うだろう?
まず、自分の力量をしっかりわかった上で、自分の力量の範囲から120%程度までがんばることが合理的だろう。あるいは一時的に、ここぞっていう最優先事項への取り組み、勝負って定めた時に200%以上がんばることは合理的だろう。
人生にはそういう場面がたまに訪れる。
その程度だったら燃え尽きることもないし、無理なことではないということを歴史が証明している。
次にタイムスケジュール・時間管理だ。
ただ目の前に訪れる順番に、常に130%で取り組んでいたら、燃え尽きてしまって、次に訪れるもっと優先したい事項への取り組みに支障をきたすことになるだろう。そうしたら、それは意味のないことになってしまう。つまり、大切なことを大切にできなくなってしまう。
だから、タイムスケジュールと優先順位の管理が大切になる。
そしてその基準は、どこかに正しい、普遍的なそれがあるのではなく、あなたの中に、あなたの価値感と願望の中にだけある。
例えば、ものすごく楽しい仲間との面会があったとする。
そして、翌日にはあなたの人生にとって大切な仕事の打ち合わせがあったとする。
面会のときにめいいっぱいお酒を飲んで、翌日の仕事の打ち合わせが二日酔いで全力を尽くせなかったとする。
その時あなたは何をどう判断するだろうか?
つまり、何を優先するかだ!
どちらとも優先すべき譲ることができない大切な事項だとすれば、それぞれ120%の力で楽しみ、取り組めばよいと思う。
もし、どちらかというと仲間との面会のほうが優先順位が高いのであれば、そちらに150%で取り組んで、翌日は70%の力しか出せないとしても、それはそれでよいだろう。
ただし、この力加減をするためには、自分の中の優先順位付けと自身のキャパシティを把握しておくことが必要になる。
だから、例えば打ち合わせの方が優先順位が高いのにも関わらず、面会に150%出してしまい翌日120%を出そうとしても70%しか出せないというようなことが生じる。
それは、間違っているということがいえるだろう。なぜならば、判断基準であるあなたの中の重要性、願望を満たさないからだ。
そのようなことを面会で「無理をした」ということになるのだ。
結局のところ、正しい間違っているということはない。
ただあなたが望むも人生を歩んでいくこと、望む生き方を実践していくことが大切なのであって、決して一般的に見てどうかというような基準で何ごとも判断すべきではないということだ。あなたが望む人生を歩む權利と義務がある。
あなたらしく、あなたの人生を輝かせて生命を伸長できる生き方を追求してほしい。
人生は点ではない、線であり、面であり、立体だ。
私たちは三次元の中を時間軸に沿って生きている。
時間軸という長い道のりの中で出来事をどう管理できるかだ。
今よければそれでよいのではない。
だって、これからも生きるかもしれないからだ。
かといって未来のために今を犠牲にすればよいのではない。
だって、明日人生の幕が閉じるかもしれないからだ。
だから、常に今日を最後だと思って優先順位の高いことに全力で取り組んで、常に未来のために時間管理=出来事管理をしていって、自己成長し続けることが大切だと思う。
決してそれは無理するということではない。
合理的な選択をしていくということだ。
大切なことを大切にするということは、そういうことだろうと思う。

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