愛とはお題目ではなくて具体的な行為であり生き方だ。

 愛は具体的な生き方だ

愛はお題目なんかではない、具体的な行為の選択であり、生き方そのものを表している。
大切な愛すべき存在にこそ、近ければ近い相手にこそ、愛を行為で表すことが大切となる。
今日は、自分への戒めも込めて、愛について書こうと思う。
自分への戒めというのは、頭でわかっているけれどできていないことというのは、結局のところわかっていないのと同じことだということだ。

愛だ、愛だ、とどれだけ言っても、具体的な行為として選択されない限り、それは単なるお題目となってしまい、全く意味のないものとなる。私は愛の人間だと思って生きているけれど、もっともっと具体的に行為で表現していきたいから、今日は改めて自分への戒めを込めて、愛について、自分に向けてメッセージしたいと思う。
愛とは何か?
対象の生命の伸長を願う心だ。
そして、対象の生命の伸長に役立ち行為を選択する生き方のことだ。
決して感情や衝動などではない。
ただ、愛しているよって口で言うだけでは決して伝わらない。
あらゆる行為として、表現していくからこそ初めて伝わるようになる。
つまり愛とは単なる感情ではなく、心であり、行為で表現するものであり、ただ言葉だけで終わるような薄っぺらいものではないということだ。
その対象のすべてを受け入れて、包み込み、決して見返りを求める打算的な考え方ではなく、対象の生命の伸長を願い、それを心から発せられた行為として表現されるものなのだと思う。
私は、全き愛の存在でありたい。
まだまだ、私欲の塊だし、自己中心的な考え方(自己愛、自分を愛するというのとは全くことなる概念)を持っているし、相手の気持ちを分かり切ることができないけれど、それでも人格を形成していくということは、果てしなく「愛」という抽象的な概念に存在が近づいていくことを意味すると思っているから、私は生きている限り「全き愛の存在」に近づけるよう成長していくし、目指して実践していって、行為でもって伝えていきたい。
それが私の究極の生の目的でもあり、そのために何をして表現していくかだと思っている。
世に言われる成功者とは、例外なく「愛の存在」だった。
だから、私は真の意味での成功者となっていきたい。
成功者とは、お金をたくさんもっていて資産をたくさん作った人を指す言葉ではない。有名であることや、メディアに取り上げられることや、豪邸に住んだり贅沢をすることではない。もちろんお金は大切だし、納税したり、貨幣を流通させる意味で消費したり投資したりすることは、社会的な意義のあることで、お金を稼ぐこと自体が社会性のあることだとは思う。でも、成功者のその真の意味とは、目先のお金をおいかけるのではなく、どれだけ世の中に価値を作ったか、あるいは世の中にどれだけ価値を作れる人間になるかを追求した人かということだと思う。
結果的に世の中に価値を作ればリターンとして、お金持ちになることが多いというだけの話だ。つまり、お金は目的ではなくて、後から付いてくる副産物なのだということだろう。
飽くなき人格の形成こそが、唯一の目的足りうるもので、その実現のための道程に目標の設定があるのだと思う。命=時間をなんのために使うのか!どれだけ貧したとしても、時間を大切なことのために使うことの優先順位だけは外さず、私は魂を目的に向かって使っていきたいと思う。
愛こそが、私が追求する生き方であり、そして大切なことを大切にするために必要なことであり、価値判断の基準だと思う。

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