どれだけ受け入れることができるか|器を拡張する生き方

受け入れられる幅=器=キャパシティこそが人格だと思う。

これは、私が勝手に解釈していることで、
しっかりとした検証をしたわけではないけれど、
いろいろなことを幅広く受け入れられる人ほど人格ができていると思う。
当然人の価値というのは、比べられるものではなく、
それぞれの人がただ唯一の存在として、たったひとつの価値なのだけれど、
私が目指していきたいものは、この器にこそある。
どんなことが起こったとしても、
すべてOKと受けれいれらる人間でありたい。
それはトラブル対処能力が高いことであり、
自分への自信と確信の強度に比例するように思う。
生きていればいろいろなことが起こる。
良いこともあれば、悪いこともあるだろう。
本来は、良いとか悪いとかいうことはなく、
ただ、その起こった事実があるだけなのだけれど、
その事実・出来事に対して人は良いとか悪いとかのジャッジをしてしまう。
それをどれだけフラットに事実として受け入れることができるか。
これがすなわち器ではないだろうか?
なかには目を覆うような悲しいこともあるだろう。
逃げ出したくなるような苦しいこともあるだろう。
耐え切れないと感じるような辛いこともあるだろう。
逆に舞い上がってしまうようなうれしいこともあるだろう。
心浮かれてしまうようなたのしいこともあるだろう。
腹のそこからこみ上げてくるような喜びもあるだろう。
どんなときでもフラットでいられる心。
その心こそが器と言えるように思う。
けれど、感情を押し殺すという意味ではない。
感情を思いっきり受け取るということだ。
湧き上がる感情をしっかりと受け取って、
その上で平常心であることだ。
感情をなくしてしまうことは機械になることと同じことだ。
感情があるからこそ人間であるし、
感情に正直であることは人間にとって重要なことだ。
むしろ感情を無視してしまうのは、
自分を否定することにつながるだろう。
湧き上がる感情は、思う存分受け取って味わおう。
そこにこそ人生の醍醐味があり、生き方が試されることだろう。
そして、感情は常に個人的な経験である。
だから、他者を巻き込まないようにしよう。
もちろん嬉しいことや楽しいことは分かち合ったらよいだろう。
悲しいことや悔しいこと、辛いことなんかもわかちあったらよいだろう。
でも、最終的に感情は100パーセント個人的な経験だ。
そこに他者は存在し得ない。
他者が起因して起こる感情もあるだろう。
舞い上がることなく、落ち込んでしまうことなく、
フラットに感情を見つめてみよう。
だからこそ、器が必要なのだと思う。
いろいろな経験を積んで、いろいろと体験することが重要だろう。

2 Responses to “どれだけ受け入れることができるか|器を拡張する生き方”

  1. mimi より:

    ずっと、探していた空間を見つけた感じがします。
    180度、人生が辛い方向に変換してしまった私の家族を支える事に、そろそろ疲れて途方にくれていました。
    そんな時に、こちらに行きつきました。
    背筋を伸ばす事が出来ます。これからも、拝見させて下さい。

  2. しんさん より:

    miniさん、コメントありがとうございます。
    大変な状況にあるのですね・・・。
    お察し申し上げます。
    miniさんにとって少しでも役に立てるブログになるよう尽力して参りますね。
    ご自身を満たし、支え続けられるよう、無理なさらないようにしてくださいね!
    無理に理は無いですからね!

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