決めるということ|決断・コミットメントとは

 決断とは、決めて他の選択肢を断つこと。

強い覚悟で物事を選択することを言う。
コミットメントとも呼ばれ、決断した瞬間にそのことは達成されたと同義というくらい、
強く決めている様を指す言葉。
できたらよいな、こうなったらよいな、ではなくて、
必ずこうなるって決めることをいう。
そこにあるのは、人生における真剣勝負。
木刀でも竹刀でもない。
生きるか死ぬか、生死をわける真剣での勝負が根底にある。
だから簡単に決断なんてできやしない。
簡単に決めることなんてできやしない。
コミットメントなんて簡単なもんじゃない。
真に願望からくることがらだからこそ、
本気で思い描くビジョンだからこそ、
そんなビジョンからくる目標だからこそ、
達成をコミットメントすることができる。
そういう意味で、目標達成にとって何よりも大切なことは、
自分が本当の自分とリンクしていること。
自分に正直に、真の自分の姿でその思いを表現したものであること。
だから、自分が望むものは何だって実現することができる。
それだけ強い思いで取り組んだならば、どんなことだって成し遂げることができる。
だから、他の人がどんなこと言ったって気にする必要がないことがわかるだろう。
なぜなら、そんだけ真剣に物事に取り組んでいる人なんてそんなにいないから。
それは、決めたことが実現するって体験した人がそんなにいないってことだから。
だから大切なことはテクニックやスキルなんかじゃなくて、
目に見えないものだっていうことを知る人はほとんどいない。
人生は真剣勝負だ。
普段は竹刀で勝負したってよいだろう。
木刀で勝負したって問題ないだろう。
その程度の傷を負ったところで大勢に影響はないだろう。
むしろ別に勝負をかける必要だってないだろう。
でも、ここぞってときが人生にはある。
ここ真剣勝負ってところが何度もある。
仕事でもあるだろう。
プライベートでもあるだろう。
そのときに、きちんとコミットメントすることができるか。
逃げ道を遮断することができるか。
それが、目標を達成する秘訣ということができる。
でも、それを誰か他の人に求めてはいけない。
他の誰かにコミットメントしろとか、決めろとか、決断せよとか求めてはいけない。
なぜなら、そうできるのは唯一その人だけだから。
誰だってそんなに簡単に生命をかけられるものではないから。
仮にコミットメントします、決断します、決めました!って求めに応じて、
誰かが応えてくれたとしても、結局あなたは裏切られてしまうだろう。
裏切られてしまうって書いたけれど、正確には裏切られるわけではない。
よくそんなふうにいう人があるから、そう書いただけだ。
裏切られるのではなく、あなたが勘違いしたというだけのことだ。
そのコミットメントは、その人の心からの決断なのではなく、
あなたの要求に応えただけのその人の優しさからくる順応なだけだ。
裏切る人が悪いのではなく、決断を押し付けることが誤っている。
なぜなら、人はコントロールできない存在だからだ。
そんなに簡単に生命なんてかけられるものではない。
そして、その人の願望とリンクしているものでないと、
本当の決断なんて引き出せない。
押し付けられてコミットメントするなんてことはない。
あくまでも決断ってのは、自発的なものであって、
それは、その人が決めるまで待つ以外には方法はないものだ。
そして、どれだけ強い覚悟で決断していたとしても、
人は諦めてしまうものだ。
それはそれで仕方のないこと。
だって、いろいろと事情があるから。
どうしても譲れない事情が、想定していなかったようなことが起こるのが人生だから。
そんときにどれだけその人を優しく見守ることができるか。
それが愛じゃないかなって思う。
人生はいつも凪の日ばかりではない。
冬の日本海のように荒れ狂う日だって必ずある。
それをどう楽しむことができるか。
目の前の苦難をどう楽しく捉えて、現象に左右されずに、
ビジョンを追い求めることができるか。
そして、そのために効果的な判断を下すことができるか。
そのためにもたくさんさまざまな経験を積んでいくことが望ましい。
あなたが決めれば現実はあなたの思った通りになる。
どんな荒波をも乗り越えて、新しい現実を作り出すことができる。
ただし、それが本当のあなたの心からの願望から来ていることが重要だ。

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