誰しもが常に最善の選択をして生きてきた|許すという生き方

 人はみな、意識しているか否かは別として、

常に考えられる中で最善の選択をして生きている。
だから、人生の質を向上させるためには、
考え方の枠を広げることと、
より効果的な選択の基準を築くことが直接的に重要になる。
今回、お伝えしたいことは「許す」ということだ。
それは、「他人」も「自分」も含めて、
過去起こした過ち、過去起きてしまった過ちを、
許し、完了させるということだ。
冒頭お伝えしたように、
人は皆、常に最善と思われることを選択して生きている。
つまり、その時、その選択をすることが最善と判断して、
その行為を選択したということだ。
それが最もベストな選択肢だったわけだ。
たとえその選択がどのような選択であったにせよ、
あなたあるいは、その人にとっては他の別の選択ではなく、
その選択が最善の選択だったのだ。
たとえば、それが「いけない」ことだったとしても、
当然「いけない」ことだということはわかっていながら、
「そうしなくてはいけない」何かがその人にあったわけだ。
人は皆不完全だ。
一生を通して清廉潔白な人間なんていやしない。
欠点のない人間だっていないし、
いつも強くて弱い自分に常に打ち勝つ人間なんていない。
それはあなただってそうだし、
あなたの大切な人だってそうだし、
ガンジーやマザーテレサみたいな偉人だってそうだし、
孫正義社長や、スティーブジョブス、ビルゲイツのような成功者だってそうだ。
例外なく皆不完全であり、たくさんの過ちを犯して人生を歩んできたのだ。
そう考えたならば、
あなただって、あなた以外の他の誰かだって、
過ちは犯して当然なのではないだろうか?
そして、過ちを犯したということを、
少なくとも過ちを犯した人は、
喉に刺さる魚の小骨のように、
チクチクと罪悪感として感じているのではないだろうか?
もし仮に、その過ちを責めるならば、
その人はどう感じるだろうか?
もちろん、償うことは必要だろう。
でも、もしかしたら、罪悪感に苛まれて苦しんでいるのかもしれない。
その過った人があなただとしたらどうだろうか?
とても苦しい思いをしているのではないだろうか?
もしそれを責められたなら・・・。
反省しても許されないとしたら・・・。
執拗に責められたならば・・・。
ただでさえ苦しいのに、
さらなる苦しみに耐え切れるだろうか?
もしかしたら、自分の悪かったことは棚にあげて、
その過ちを犯さざるを得なかったことを
正当化したいと思いはしないだろうか?
居直ってしまいたくなるのではないだろうか?
なぜなら、その過ちは、過った選択は、
その時取れる最善の選択の結果だったのだから・・・。
だから、許そう。
自分を許し、他人を許そう。
許しは、相手のためではない。
あなたのためなのだ。
あなたの心を開放するために、
あなた自身を許そう、
あなたの心を開放するために
他人を許そう。
そうして、今後過ちが起こらないように、
過った人(自分であれ、他人であれ)と話し合おう。
過ちを責めるではなく、それは変えられない過去のものと完了させて、
今後よりよい人生にしていくために、
よりよい関係を作っていくために話し合ってみよう。
それが最善の選択ではないだろうか?
他人と過去は変えることができない。
唯一変えられるのは、あなたと未来だけだ。
であれば、よりよい未来を創るために、
変えられない過去を責めるより、
変えられない他人を責めるより、
変えられる自分の考え方に焦点を当ててみるのはどうだろうか?
あなた自身の過ちについても同じことが言える。
あなたが犯した過ちは、もう取り返すことはできない。
もう一度やり直すことができないのが、過去だ。
だから、過去は最善の選択の結果だったのだと受け入れて、
自分を許そう。
そうして、必要な償いをしていこう。
償う対象がもういないのであれば、
直接償うことができないのであれば、
他の誰かに償っていこう。
他の誰かにその分の幸せを作っていこう。
あなたはこれまで常に最善を生きてきた。
そして、これからも最善を生きていく。
よりよい人生を選択していくために、
考え方の枠を広げることと、
選択の基準を上げていくことを心がけていこう。
それがあなたの成長となっていき、
成長したあなたの人格がよりよい人生を創っていく。

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

サブコンテンツ

このページの先頭へ