本質を捉えることができたならあとは枝葉

 

もし、核となるものを手に入れたならば、あとは枝葉の問題だと気づくだろう。
そこまでのプロセスで、人は往々にして挫折してしまう。
また、「それ」を掴むまでの道程は人によって全く違うものになるだろう。
なぜならば、育った環境が違うからだ。
ある人は、人生の大きな荒波を経験して気づくかもしれない。
例えば、大切な人の死や離婚、破産や大きな挫折、出会いなどだ。
ある人は、比較的容易に気づくかもしれない。
それでも、日々の研鑽は、賞賛に値するものだろう。
ある人は、まったく気づかずに、自分の感情に支配されて、外的要因に振り回されて、
その一生を終えるだろう。約80パーセントに上るひとだ。
「それ」とはなんだろうか?
本質を感じ取る目だろう。
物事の本質は何かを見極めることだ。
要するに人生はあらゆる経験をするには短すぎるわけで、
その中でどのようにして、未経験の出来事に対して取り組んでいくか、
その価値判断の基準というべきものだろう。
器といってもよいかもしれない。
本質・宇宙の法則がわかっていれば、人生を生きることが容易になります。
自然の理に即した生き方ができるようになるわけです。
苦難が苦難でなくなり、楽が楽でなくなります。
そのすべてを楽しむことができるようになります。
では、何をどう意識したらつかむことができるでしょうか?
それは、徳を積むということでしょう。
とにかく、全力で自分の生命を輝かせるための考え方と行動を選択することです。
そして、失敗して改善して失敗してを繰り返し、経験をたくさんして、
その中で少しずつ腑に落ちてくるのでしょう。
器は年齢ではありません。
年輪です。
どんな人生を送ってきたか。
幼少期から始まり、これまでにどのような人生を歩んできたか。
そして、そこから何を学びどう人生に生かすか。
その結果どのような考え方・ものの見方を手に入れたか。
それがその人の器を決定付けます。
掴む
知ることでも、わかることでも、理解するものでもありません。

魂が掴む
ここに本質があるように思います。

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