平常心で生きる・しっかりと腑に落ちた生き方を選択する

 納得感って重要だと思う。

腑に落ちている感じ。
自分と本当の自分のお互いが通じている感じ。
自分と相手が通じている感じ。
自分と相手の心が触れ合う感じ。
自分と相手の腑でつながる感じ。
目に見えない、
論理的でない、
なんとなくでしか説明のしようのない、
そんなアバウトな感じのする感覚的なところ。
これって、だれもが感じているところなんだと思う。
なんとなく違和感あるなとか、
なんとなくすっきりしたなとか、
なんとなく直感的にわかる感覚と言える。
小さなズレが積み重なっていく。
小さなズレだから、声高に叫ばれない。
だから、気づかれない。
一夜にして抹殺されて、ケロっと忘れ去られて、残骸として心に残っていく。
粉々になった残骸が降り積もって、長年の小さなちりが積もることで、
大きな不協和音ができあがる。
なぜ良好な夫婦関係を築ける人が5%しかいないのか?
なぜ人間の悩みのほとんどが人間関係なのか?
なぜ最初仲良かった人たちが時を経ると仲違いしていくのか。
私はこの小さなズレと小さな感情的な葛藤の積み重ねと思う。
これは、自分以外の誰かとの関係だけではない。
自分自身との関係についても同じことが言える。
腑に落ちないところがあったら、とことん話したほうがよい。
自分とでも、自分以外の誰とでも。
腑に落ちるまで話して、時間を共有するとよい。
自分とでも、自分以外の誰とでも。
小さなズレを放置してはいけない。
必ずそのチリが心に堆積していくから。
堆積したチリは大きな不協和音として出てくる。
不協和音は、人間関係を破壊する方向にシフトする。
大きなわだかまりをつくる原因となるからだ。
素直に話を聞けなくなったり、いちいち反論したくなったり。
なんとなくこの人前と変わったなって思っちゃうのはそれだと思う。
自分との不協和音は、病気となって噴出してくる。
それ以外に行き場がないからだ。
自分を偽り、自分に嘘をついて生きていてはいけない。
ずっと、本当の自分はあなたのことを見ているからだ。
そうじゃないんだよ
私そうしたいんじゃないんだよ
そのセリフ嘘だよ
そんなん思っていないよ
俺こうしたいんだよ
僕はこんな人間なんだよ
そのままを愛されたいんだよ
自分を着飾っているの疲れちゃうんだよ
疲れ果てて、一日を終えて、床につく。
よい日もあれば、悪い日もある。
目先の現象に目を奪われるのが人間。

良い日は気分よく眠り、
悪い日は眠れない日もあるかもしれない。
でも、本当の自分は、現象とはちがうところで感じている。
良い日だったけど、本当は自分を偽っていたのかもしれない。
悪い日だったのは、自分らしく生きて結果だったかもしれない。
小さなチリが堆積していくと、行き詰まるようになる。
だから、できるだけ早くに解決してあげたがよい。
自分の中のズレを解消してあげたがよい。
それが、腑に落ちた生き方。
本当の自分と意識している自分が交わる生き方。
平常心で生きるっていうこと。
着飾ることなくナチュラルな人生を歩むっていうこと。
そして、自分以外の人と本音と本音で語り合うっていうこと。
感性を研ぎ澄まし、もっと他者を思いやれる人間になりたい。

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