正しさ

 あなたは正しい人生を歩んでいますか?

あなたは、いつも正しい選択をしていますか?
今、あなたが選択する行動は正しいことですか?
誰かに、それは間違っている、これが正しいんだって伝えていますか?
人生に正解なんてない。
絶対的な正しさなんて存在しない。
という意見がある。一方で、
あれこれは正しく、それどれは間違っている。
正しく生きなければならない、
ああでなくてはいけない、こうだったらいけない。
という意見がある。
どちらも正しく、どちらも正しくないと思う。
わたしがお伝えしたいことは、
正しさとは、個人的な経験だということ。
それも、完全に個人的な経験だということ。
それぞれの価値観が正しい・正しくないということを判断するだけのことだ。
と同時に、ひとつの基準も存在する。
それは、あなたが求めているかどうかということだ。
例えば、あなたの生命を輝かせるための選択は正しい。
一方で、あなたの生命を否定するような選択は間違っている。
これは自然の摂理だ。
大枠で、それぞれの生命を伸張させることは正しく、
それを否定して、衰退させる行為は正しくないと言える。
と同時に、その選択そのもの、
つまり、正しい選択だろうと正しくない選択だろうと、
その選択自体は、それで正しいということが言える。

なぜならば、人はその時を最善を尽くして生きているからだ。
その時々に、各人はできうる最善の行為を選択しているからだ。
だから、本当は正しい正しくないということはなく、
いつもベストを尽くした結果が今であり、
これからを考えるならば、自分の求めるものを得るために、
正しいと個人的に思われる選択をしていくしかないということだ。
求めるものがあるのであれば、
それを手に入れるために、
効果的な行動と効果的でない行動の二つにわかれる。
正しい、正しくないというものさしではかるならば、
どちらの行動も正しいということが言えるが、
基準を効果的かどうか、という点に置くならば、
効果的=正しい、効果的でない=正しくない、ということになる。
つまり、正しさというのは、各人が決める基準に依るということになる。
やはり完全に個人的な経験ということが言えるだろう。
だから、自分の正しさを誰かに押し付けることは、謹んだほうがよい。
それぞれ価値観も違えば、求めているものも違うからだ。
まず、この基本的なことを押さえて頂きたいと思う。
同時に、効果的な選択という点については、別の角度がある。
それは、経験的にも学べるし、先人の知恵からも学ぶことができるということだ。
過去に照らしあわせて、ある行為が求めるものを手に入れるのに効果的か否か、
はかることは、ある程度可能だということだ。
だから、学ぶということは非常に重要なことだ。
人類は過去培った英知を伝承していく手段を手に入れた。
文字であり、映像・音声の記録だ。
過去の知恵を活かして伸張させることができることが、
人類が発展してきた基礎を為している。
だから、わたしたちは、求めるものに応じて学んでいかなくてはいけない。
学ぶことをやめてしまったら成長が止まる。
成長が止まるということは、衰退するということだ。
自分流を貫く限り、効率的な選択をすることはできない。
なぜなら、過去先人たちが研究した成果を無視して、
自分で一からそれを試していくということだからだ。
膨大な時間を要してしまう。
私たちの人生は限られているというのにだ。
先人の知恵に学べば、その経験の結果をすぐに手に入れることができるが、
我流で進めば、トライアンドエラーを繰り返しながら検証しなくてはいけない。
思いっきり学ぼう。
正しい、正しくないを捨てて、
自分の求めるものを自分の人生に求めていこう。
それが私の中の正しさだ。
でも、それを誰かに押し付けることはしない。
だって、正しさは人によって違うからだ。
だから、他人から押し付けられる正しさは聞き流す。
私の価値基準に合致すれば肯定するし、
合致しなければ、決して肯定もしないし、否定もしない。
だって、それは他人の正しさだからだ。
私は私が正しいと思うことを人生に取り入れる。

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